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2013夏 四国歩き遍路 はじめに

遍路。一度くらい聞いたことがあると思う。
不思議な存在だ。
2013年夏、遍路を行った。これはその記録である。
遍路での色々な慣例は、もっと詳しい他のサイトを参照されたし

遍路とは何か

 遍路。一言で言えば、『四国に存在する88の寺を廻る行為』の事である。
 遍路には、様々な様式やルールがあるが、いずれも慣例であり、明確なルールは無い。
 元は、行者の修業の場として生まれたが、次第に信者の祈りの場としての性格も持つようになった。
 遍路をする者に対しては、接待として食料や金銭が与えられ、かろうじて生き延びることができた。そのため、遍 路には、家庭に居場所の無くなった不治の病人や、破産にした人々が集まるようになった。
 一方、成人や嫁入りの通過儀礼としても遍路は行われた。
 江戸から明治にかけては、困窮した者の流入が、秩序を乱す、疫病を広める等として遍路が規制された。特に、土佐においては、藩内の滞留日数や遍路道の制限を経て、最終的に遍路は禁止された。
 現在では、遍路がメディアに取り上げられ、一般化した。世界遺産登録の運動も見られる。

遍路の手段と目的

 昔はもちろん歩きしか手段が無かったが、現在は廻る手段も多様化している。
 車を使うと日程を短くすることもでき、身体的な障害も取り除くことができる。自転車やバイクもよく見られる。
 交通手段が発達した現在でも、歩き遍路は多い。昔ながらの遍路の道は国道を離れていたり、山道が多いので、「遍路道」を通るには歩きしか方法はない。
 部分的に鉄道やロープウェーを使うこともできる。

 遍路を行う期間にもいろいろある。
・通し打ち…全部のお寺を一気に廻る。
・区切り打ち…県や寺のまとまりで期間を分けて廻る。
 通し打ちが標準だが、現代社会そうそう長期休暇は取れないので、連休等を利用した区切り打ちもよく行われる。交通の発展により、日帰りが可能になったおかげである。
 時計回りに廻るのが順打ち。逆に回ると逆打ちになる。逆打ちは、道標が分かりにくく困難だが、順打ちの遍路とたくさんすれ違うことになるので、功徳は大きいとされる。


 遍路の目的も多様である。
 本来は、修行や祈りのためであった。
 そこに、貧困からの生き延びるためという目的が加わり、戦後はただ歩きたいという目的の遍路も増えた。
 実際に私が遍路をしている人から聞いた「遍路をする理由」には

・歩きたいから…いつか歩き旅をしてみたかった
・宗教的理由から…信仰のため。友人の供養のため。
・文化的興味から…人は何故遍路に出るのか。
・特に理由なし…何かどうにかなるかもしれない。
・リピーター…また廻りたい。四国が私を呼んだ。

 等があった。
 ちなみに、何らかの悩みから遍路に出る者も居るので、遍路に会ってもその理由は尋ねない空気がある。

 遍路には困難が大きければ、功徳も大きいという雰因気がある。それなら、歩き遍路を行う人のほうが、信仰心は大きいと考えそうだ。しかし、実際遍路をして思ったのは、バスを使って遍路をする人ほど信仰心は厚く、歩きや自転車を使う遍路ほど信仰心は少ないのではないかということだ。
 手段を困難にするほど、旅の中での宗教的行為の割合は減る。むしろ、高いツアー料金を出し、寺での納経以外はバスの中で過ごすような遍路の方が、そこまでしても遍路したい、信仰の厚い人たちではないかと思う。

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